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2007年06月05日
「門前都市ながの」まちの活性化とは・・・ NO.03
長野市中心市街地は中央通り(表参道ふれ愛通り)を軸としてJR長野駅から30メートル以上の高低差があり、まっすぐのびた軸の先には善光寺という大変恵まれたロケーションを抱えています。にも関わらず40人弱の参加者がスケッチしてきたものは、この通りを対象に描いたものは全体の1割程度でした。「歩いて楽しいまち」というテーマで歩いた時、人はまっすぐのびた道を頂上めざしてただ歩くというよりは、この高低差ゆえもあるのか、無意識にわき道に入り「回遊する」ということが発見でした。
5回の会議の目的は、人の心に残ったものを集めて分析・分類していくと、街の独特な個性が浮かび上がるということです。そしてまちの文脈を読み、狭い路地や目にとまる植栽・看板・お地蔵さんなどや、窓からの眺めといったヒューマンスケールな要素がかなり重視されていることが分かります。そこから基本構想を絞り込み、点から線そして面へと具体的事業を検討することでした。
この一連のワークショップで「まちづくりとは何か?」という基本を学びました。まず自分のまちに触れて愛する、という当たり前なことを一人ひとりが知ることです。愛することができるまちに「大切なこと」は、長い歴史の断片=「ルーツ」を残すことが重要です。そしてこれからの「まちの活性化とは何か」それは「ひと」が主役のまちづくりということです。
中心市街地都市整備は、高度成長期の経済の中心としての商業集積地になり、そして車を主体とした交通計画が優先されて発展しました。まちは利便性や経済利益を優先し車社会で進んだ結果、商業地が郊外に移り、中心市街地のドーナツ化現象は進みました。その中心市街地を今度はインフラの充実を生かし「歩いて楽しいまち」に新たに再生することには、新しい価値をみつけることが必要です。それは長い歴史のなかでつくられた環境の再確認と主役が車や経済効果であった時代からもう一度「ひと」を原点に考えることです。地方都市の整備は、そのベースを整えるだけでいいのではないか。あくまでもそのまちで生きていく人達が主役であり、街の歴史的な財産を根こそぎ消してしまうような開発では、歩いて楽しいまちは創れない。行政は環境の保存・再生の基盤整備、そしてきっかけや資金の援助体制をつくることが大切で、事業の内容は、まちの主役達と地元の専門家がつくりあげていくことです。
「まち」の面白さや「○○らしさ」という個性には、そのまちの長い文化や生活の歴史が残っている事がとても重要です。個性とは、そこで生活してきた人達の営みから産まれるものだからです。長野は、住民・商店街・地権者・観光客と多くのひとの利害関係が絡んできた歴史と、「国宝善光寺」のお膝元という素晴らしい財産があります。このまちにしかないルーツを認識することで、私たちはまちで感動する事ができる。多くの人の利害関係が絡んできた場所のエネルギーとこれからの新しいコミュニティーを融合させて考えることは、「長野らしいまち」の第一歩だと確信しました。
人は生きていく中で「悩み迷う」ことが何度もあります。そういう時に必ず自分の「ルーツ」を探しにいきます。そして人との交わりを通じて自分の人生の意味を見出していくのではないでしょうか。「まち」もまったく同じで、ルーツが大切であり人が人と触れるコミュニケーションがあること。ーそこには普遍的な感動が生まれると願いながら。
表参道ふれ愛サポートクラブ 参加者約40人
・主婦地域住民 約14人
・建築士会、まちづくり団体など専門家9人
・長野市まちづくり推進課・都市計画課・商業振興課など行政関係者5人
・商店会商業関係者12人
投稿者 kume : 2007年06月05日 17:54










